いう環境で過ごすことは極めて安心感があって心地良いものである。しかし、そうした環境のもとでは、自分を大きく変えることは難しい。なぜなら、まわりの人たちは私のことを知っていて、私もまわりの目を強く意識することになるからである。
同じ場所で生まれ、ずっと過ごし、幼なじみがいるような、まわりを気にせざるを得ない環境で、自分を大きく変えられる。それができるほどの強さや勇気がある人間は、そうそういない。私は、自分のことを誰も知らないところでこそ、自分を大きく変えられると思った。しかも、自分が理想とする自分に、である。まわりを気にすることなく、理想とした自分をゼロから築き上げてみたかった。それが、私が韓国を離れた理由だった。
縁あって奨学金をもらって日本に向かうことができることになった私は、日本に向かう飛行機の中で決意を固めた。自分の中で気に入らないと思っていることをすべてリストアップし、それをすべて捨てようと考えたのである。そして、自分はこうなりたいという憧れを具体的な言葉にして、日本に行ったら新しい自分を演じてみようと思った。
自分で“脚本”を書き、自分が“演じ”、“演技指導”までする。もちろん、いろんな新しい“役者”との出会いがあるので、新しく出会う人たちとの関わりの中でも自分の役を築き上げていかなければならない。それでも、私は大きな期待に胸を膨らませた。
環境を変える、境界を越えるというのは、新しい自分になれる大きなチャンスなのである。もう一度、自分のキャラクターをゼロから作り上げられるのだ。こんな恵まれたことはない、と私は思ったものである。
そして実際に、日本で私は変わった。しかし、チャレンジはこの1回にとどまらなかった。私は、また新しい世界に自分を送りこむことを考えた。さらに自分を変えるためである。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スペイン、イタリア、オーストリアと異なる国を経験し、その地で生活を始めるたびに私の思いは確信に変わった。環境を大きく変えることこそ、理想の自分に近づく方法のひとつだ、と。
仮に成功体験があっても、それを捨てて新しい地に向かう意味は大きいと私は考える。そしてその数を増やすほど、新しい自分を演じる技術は高まる。役者としての演技の幅は広がっていく。どんな役を与えられるのか、わからない中で、どんな役を与えられてもこなせるようになる。どこでも生きていける自信を手に入れられるのだ。
生まれた場所にずっと暮らし、ひとつの役だけをこなし続ける生き方もたしかにある。深みのある人生につなげられる可能性もある。しかし、人生は短い。自らいろんな役回りを求め、何をやっても生きていけるような力を身につけるためにも、積極的に場所を変えてみることはとても有効だと私は思う。
そしてこの過程では、必ず自分と向き合うことになる。自分の現在の姿と理想の姿とのギャップを認識することになる。自分の内面と外面の差を理解することになる。これが明確にわかった瞬間は、喜ぶべき瞬間だ。なぜなら、理想の自分に一歩、踏み出せるのだから。
そのギャップを持ったまま行動を続けていれば、そして自ら作り上げた理想の役を続けていれば、それはやがて本当の自分になっていく。演じている自分なのか、本当の自分なのかわからなくなっていく。それは、理想の自分を手に入れたことを意味する。
一度しかない人生。一途に一つのことに向けて突き進んでいくのも、美しく格好良い生き方だろう。しかし、その一途を決めるのは慎重であるべきだ。決める前にいろいろな寄り道をするのも悪くない。最後には自分の中で全て繋がっていくのだから。