やめる勇気

やめる勇気

By |2017-06-09T01:27:09+00:002015-10-07|Tags: |

続けることが必ずしも善ではなく、
やめることが必ずしも悪ではない。

「成功するためには成功するまでやめないことである」という言葉があります。素敵な言葉です。しかし、私はこの言葉を信じません。成功するためには、愚直に「やり続ける選択」に負けないくらい、賢くそして思いっきり「やめる選択」が重要だと思うからです。

良いタイミングで潔くやめること。
スマートに、戦略的にやめること。

やめることは別にそれ自体で非難されるべきことではないはずです。一度しかない人生、`自分を貫き、人生を自分のものにする`ためには、ときには軌道修正も必要なのです。そのためには、あることをやめる必要があります。やめないと、次のことをはじめられないこともあるからです。

やめることも立派な選択なのです。

もちろん、やめることには犠牲が伴うのも事実です。今まで築いてきたもの、例えば人脈や実績が無くなるかも知れない。これが人を不安にさせ、無難に現状維持(=やり続ける)の選択をさせます。しかし、それはいま自分が存在する小さい世界の話でしかない。

新しい世界を見るためには今までの世界を後にしないといけない時があります。自ら殻を破らないといつまで経っても雛にはなれず、もちろん成鳥にもならない。殻の向こうにある世界は永遠に見ることは出来ません。
殻を破る作業は、時にやめる作業でもあります。経験則で言えば、やめることによる犠牲が大きければ大きいほど、やめる選択を主体的に自己責任で下し、実践した場合の代価も大きくなります。そういう選択をした人間は必ず強くなる。

安全地帯から自ら抜け出し、未知の領域に足を踏み入れる。私はその行為自体、賞賛されるべきことだと考えます。しかし、この社会でそれを実践する人が如何に少ないことか、わかる人にはわかるはずです。
自分が目指す目標や方向性が変わること、それ自体は全く問題ありません。むしろ変わるのが自然なのです。人間は成長し続ける動物だからそうあるべきです。

瞬間瞬間の自分の思考や感覚に対する絶対的信頼を持つ。人生の一貫性は他者の評価によって決まるものではありません。自分でしかその判断は出来ない。不可侵領域だと認識することが大事です。

他者からみて脈絡のない人生でも、自分の中ではしっかり繋がっているはず。人生は一直線ではない。論理的には進まないもの。選択の度に乗り換えが発生し、進むルートも変わっていく。選択をすればするほど自分だけのルートになっていく。そして誰も行ったことのない自分だけの終着駅に辿り着くようになる。だからどんな選択をしても良いのです。それが`自分の選択`である限りは。


この記事を書いた人

John Kim
日本に国費留学。ハーバード大学、オックスフォード大学などでの客員研究員を経て、2004年から約10年間、慶應義塾大学の特任准教授を歴任。2013年からはパリ・バルセロナ・フィレンツェ・ウィーンに拠点を移し、執筆中心の生活を送っている。